推し活修行 ~田中圭さんを深く静かに推す~

映画・演劇・本(乱読)が好き。田中圭ファン。圭モバプラチナ会員。

The show must go on

アフタートークから十日経った。随分前の出来事のような気もする。無事27公演、何のトラブルもなく演じ切り、万雷の拍手の中で幕を閉じた。過ぎて十日以上経つと、もう感想とかは書けない。美しい思い出として自分の心の柔らかいところにきちっと収納され、言葉にすることの虚しさを感じてしまうからでもある。

幸いなことに東京1名古屋1大阪3と5公演観ることが出来た。初日には初日のたまらない緊張感が、大千穐楽には千穐楽の楽しさがあり、どの日がどうという感想は無い。以前このブログに書いたことがあるが、私は大千穐楽でお祭りのようになり芝居が雑になることがとても苦手だ。楽屋落ちみたいなものは見せてくれなくていいと常に思っている。だから、今回の「母さん、ラブソングです」が最後まで緊張感溢れる芝居だったことにとても感動した。

東京で初日を観た時は自分自身身構えていたので前半の笑いの部分はあまり笑えなかった。うーん、このままのペースで行くの?話が下世話だなぁと思ったりしたが、二人の丁々発止のやり取りがそんな懸念を吹き飛ばしていった。後半、怒涛のように畳み掛ける二人の心情吐露に我が身の介護体験が重なり、胸が締めつけられるような気持ちになった。まさか話がこんな風に動くとは思っていなかった。母と暮らし、その晩年を支えた弟の葛藤と後悔。母の期待に潰れそうになり、弟に全てを押し付けて逃げた兄の葛藤と懺悔。これは決して珍しい話ではない。長い介護を経験した者は、介護が終わった瞬間にああ終わったと安堵し、しばらくたつと今度はあの時ああすれば良かったと悔いが押し寄せて来て苦しむ。どんなに頑張った結果であったとしても..。ラスト「自分たちがこんな風に自分を責め続けている限り母さんは幸せではない」と兄が弟に言った時、私自身にもその言葉は強く響いた。そうだ、きっとそうだ、いつまでもマイナスの部分に拘っていては、亡くなった人も救われない。私をそんな思いにしてくれたこの作品は、長い観劇歴で記念すべき作品になった。これには、共演の矢崎広さんに負う部分も大きい。事務所の後輩でもある彼が、実直で生真面目な弟役を実に魅力的に演じてくれたからこそ、兄圭さんの芝居が生きたと思う。

生き生きと水を得た魚のように役を生きている田中圭は、発光していた。推しにはこの場所がふさわしい、いや叱られるかもしれないけれど、ここしかないのだ、と強く思った。

彼が芝居というものをしなかった間、ファンを寂しがらせない為に、有料サイトでは色々なチャレンジを試み楽しませてくれたが、私はそれでも燻っていた。私は推しのプライベートを垣間見たいとあまり思わない人間で、素の彼をもっと見せてとも思わない(そもそも正直過ぎるほど嘘をつけない人なので、ふとした拍子に素は透けて見える。それだけで充分だ)。それより芝居をしている彼を早く観たいとそればかり願っていた。演技であることを忘れさせてしまう彼の芝居は特別だ。何者にも代えがたい。

どこか危うくて、ど~んと安心しきって応援できた試しがない人だが(苦笑)、これからも好きは続く。

2026 夏 (3)

原因のわからない不調というものを初めて経験し、先が見えない不安で落ち込み、心療内科に行くことも考えた。しかし、冷静になって考えてみれば、身体にどこも悪いところがなく、自由で、さしあたって困っていることもない。贅沢な話だ、と考えると、自分が滑稽に見える日もあった。この猛暑は誰しも辛い、涼しくなるまでのんびりすればいいと皆言ってくれた。食欲が落ちた時はマズいと思ったが、無理やり修行のように食べているうちに少しずつ回復した。考え過ぎだと皆に言われた。なるようにしかならない。そのうちなんとかなるでしょーという性格の人が羨ましいと思った(なんとかしなければ、と必死になるタイプ)。身体が不調だと大好きな本も読めないし、推し活にも全力で取り組めなかった。

この夏唯一の明るい話題は推しの舞台復帰だったが、東京公演初日には、行くべきかギリギリまで悩んだ。どこも悪くないのだから行ける筈だと自分自身を叱咤激励し、ヨレヨレの状態で上京した。案の定新幹線を乗り間違え、のぞみではなくこだまに乗ってしまったりしたが(名古屋で気付いた)なんとか無事に着き、他の予定はすべてキャンセルしてホテルで寝ていた。開演時間が夜で助かった。舞台は素晴らしかった。無理をしてでも来て良かったと思った。生き生きと動いている推しを観て、やはりこの場所に居るべき人なのだと心から思った。今回キャンセルした場所は、来年のファンミで寄ることにしよう。

丸2ヶ月棒に振ったが、学んだことも多かった。自分の生き方を見直すきっかけにもなった。直ぐに結果を求めようとせず、じっくり時を待つ訓練をもっとしなければならない。

やっと読書欲も復活した。

推しの舞台はこれから大阪でファイナルを迎える。大千穐楽の日、カーテンコールで拍手しながら私は何を思うだろうか?

2026 夏 (2)

YouTubeの中の情報は玉石混交である。本物のお医者さんが話している情報のみをまとめ、とりあえず自律神経的に良くないなと思う習慣を改めることにした。一応規則正しい生活はしていたので、多分一番マズかったのは眠る直前までスマホを観ていたことだろう。深夜、決済や契約に関することに手を出すのは厳禁と肝に銘じていたが、ろくでもないニュースに見入ってしまうことは多々あった。医者に処方された薬の副作用を延々とチェックしていたこともあった。寝る1時間前にスマホは切りなさい、と専門医は語っていた。即やめた。案外簡単に手放せて、なんであんなに執着していたのだろうと思った。深呼吸のやり方、血行を良くする体操、色々参考になった。その間に元々早くから予約していた胃カメラの検査を受け、ついでに大腸内視鏡検査もやった。腸の方は何も無かったが、胃は逆流性食道炎と診断された。驚きは無かった。逆流性食道炎は何年も前から人間ドックで指摘されていたが、いつも様子見の判定だったので放置していたのだ。知らぬ間に酷くなっていたらしい。2ヶ月間処方された薬を飲み、その後もう一度胃カメラをやることになった。処方された薬を飲んでも特に楽になることは無かったし、怠さとは別の問題のような気がした。

かかりつけの医者は、血液検査の結果を見ながら、「本当にその歳か?と思えるほど、見事に異常がない、これだけ調べて何もないと自分の力ではどうしようもないから、もっと大きな病院で調べて貰ってはどうか?」と言って紹介状を書いてくれた。

その紹介状を持って、市の一番大きな病院に行った。紹介状の力は絶大で、血液検査はもっと細かく、レントゲンも尿検査もやった。総合内科の医者は丁寧に私の話に耳を傾け、あらゆる可能性を探ってくれた。検査は全て異常無し。これだけやって何も出ないのは、内科的には何の問題も無いということです、と先生は言った。念には念を入れましょうと造影剤でのCT検査も予約してくれた。結果は今月末に出る。

内科的には何も無い、という言葉を聞いた時、ふと、これは整形外科の領分で足自体の問題かもしれないと思った。元々腰は良くない。坐骨神経痛もある。

ともかく、内臓はどこも悪くないという喜ぶべき結果を得て今に至る。

一時のことを思うと、かなり楽にはなったが治ってはいない。この状態に慣れた部分もある(笑)〈続く〉

2026 夏 (1)

3ヶ月ぶりに、やっとここに向き合っている。長かった。自分史上一番長い不調だった。

若い頃から健康には自信があり、手術や入院の経験もあるにはあるが、それらはどちらかと言うと自覚症状の無いものだった。勤め人の頃はかなりの無茶もした。最たるものは睡眠時間である。夜中3時に寝て朝6時半に起きるということを何十年も続けた。ショートスリーパーを自認していた。両親が寝静まってからが自分の時間で、録り貯めたドラマや映画を観たり、本を読んだりした。仕事は忙しかったので睡魔に襲われることはなかったが、行き帰りの電車の中では爆睡していた。休日は寝貯めをして、昼過ぎに起きることもあった。そもそも寝貯めは何の解消にもならない。

もう一つ、酒は飲まないが、コーヒーを飲みまくった。毎日5杯くらい飲んでいた。ブラックなのでアメリカンにしていたが(笑)

そんな無茶苦茶を流石に退職後も続けたわけではない。母の世話もあるので生活はどんどん規則正しくなり、母の健康を考えた食事が自分の為にもなり、責任もあったので、長期の不調など経験したことがなかった。

昨年母を亡くし、残された時間は自分の為に生きようと決め、欲張りなほど予定を入れて、推しの舞台も沢山申し込んだ。

そうして7月がやって来て、ある日ドッと不調の波が来た。そもそも6月に(前回のブログを書いた後に)いくつか失敗した事案があり、そこで大きなストレスを抱え、自分の老化を痛感することになった。だから7月になった時、やっと待望の夏だ、推しの舞台もあるし、6月のモヤモヤを一気に吹き飛ばそう!と意気込んでいたのだ。

足の怠さに始まり、怠さは全身に広まり、常に車に軽く酔っているような気持ち悪さがつきまとった。朝は5時頃目覚めてそこから眠れない。私はせっかちなので、直ぐに医者にかかったが、血液検査も尿検査もエコーも全て異常無しだった。ここから私の迷走が始まった。今までの経験からして、薬や点滴で2・3日で回復するものと高をくくっていたが、異常無しでは医者も処方する薬が無かった。熱中症も疑われたが、そうでないことは自分が一番わかっていた。何しろ、毎日しんどいのに、毎夜8時〜10時くらいになると一気に楽になるのだ。わけがわからなかった。首をひねる医者を横目に、私は自分で不調の原因を探り始め、もしかして自律神経の乱れではないか?という思いに到った。似たような症状の人たちの話をYouTubeで沢山観た。専門医の解説を観ながら、これは一筋縄では行かないぞと覚悟した。ある種の意識改革のようなものが必要だった。ともかく自他共に認める運動嫌い。そこから改善していかなくてはならない。体操は続かない。友人が早朝散歩を始めてから快調だという話を聞いて、どうせ眠れないなら早起きして散歩しようと考えた。毎朝6時に起きて、涼しいうちに家の周りを15分程度歩く。これは素晴らしかった。効果の程はわからないが、気持ち良さが半端ない。初日はヨタヨタ歩きだったが、1ヶ月以上経った今はサクサク歩ける。足は怠いけどね。〈続く〉

5月6月、気持ちばかりが忙しい

1ヶ月以上放りっぱなしにして、もう読んでくれている人はいないだろうと思いつつ書いている。

推しが活動を再開して、あっという間に時が過ぎた。舞台の発表があって、さして期間を置かずチケットの申し込みが始まった。待つ間が長かったので脳はのんびりムードに慣れてしまっており、一気に動き出す時計に正直あたふたした。

一つ反省したことがある。推しが表立って活動をしなかった間に、次に動き出す時はこんな感じだといいなぁという妄想が膨らみ、それはいつの間にか強い目の希望になっていた。今になって考えると、それで良かったのか?少し怖い気もする。こんなに待ったんだから、◯◯さん演出の舞台とか重厚な映画とかドラマが観たいと過剰に期待してしまっていたかもしれない。何でもいいから出て来て!とは思わなかった。だから、推しが旧知の作家の作演出の舞台で始動すると聞いた時は、諸手を挙げて万歳ではなく、嬉しさと“そう来たか”という気持ちが複雑に混じり合った不思議な気分だった。

しかし、落ち着いて考えるに、この舞台がなかったら、推しは今何に出ていただろう?あ〜演技する推しが観たいな〜と、自分たちはまだまだ呟いていたかもしれないのだ。

場さえ用意されれば、推しは一気に躍動する。やはり、活躍の場は必要だ。ファンだけが見られる閉じた世界ではなく、開かれた場所が。

チケットは確保出来た。今回は最初から遠征を考えていたが、結局東京・名古屋の1公演ずつになった。増やそうと思えば増やせたが、大阪公演も複数観るし充分だ。東京の初日を観て、翌日は常々行きたかった神社とか本屋に足を伸ばすつもりだ。チケット代に加えて、新幹線にホテル・着ていくもの等々、出費が半端ない。

チケットが手に入ったので、やっと重い腰を上げてスマホを買い替えた。慣れるまでがなかなかで錆びた脳をフル稼働させている。1ヶ月の使用料が今までの2倍になる。唸るしかない。携帯屋さんに上手く乗せられたのではないか?とも思うが、今やスマホの無い暮らしは考えられないので、こちらの負けだ。ただ、買い替えてから、仕様の関係もあるが、スマホ時間が少し減った。特に寝る前に触るとロクなことがないと痛感したので、眠る前の時間は読書に費やしている。

あれやこれやと気忙しいが、それも先の楽しみがあるからだ。幕開けまで天変地異が起こらず、まったりとした世の中で、つつがなく公演が成されますように。

言葉を学び、言葉を育てる

先日テレビの情報番組で、古い街並みが若い人たちに人気で急に訪れる人が増えた某観光地を紹介していた。昭和のレトロ感溢れる建物や路地を散策する若者たちの感想が「可愛い!」の一点張りだったのにとても驚いた。渋い枯れた感じの家並みも「可愛い!」若い女性も男性も「この風景、可愛い」。語彙の貧困さに唖然とする。今や“可愛い”はオールマイティーの凄い言葉になっているんだなぁ。日本語にはもっと素敵な形容詞がいっぱいあるんだけどなぁ…とオバサンは残念でならない。みんなもっと本を読もう。

ゴールデンウィークが始まったが、毎日が日曜日の自分にはあまり関係がない。京都に行きたかったが、さすがに避けた方が良さそうだ。グランフロント大阪で「にゃんこ博覧会」なるイベントがあるので行くつもりだが、予定外に散財してしまいそうで怖い。もうあまり物は増やしたくないのだが。

さて話は変わって、以前ずっと観ていた「100分de名著」を久しぶりに4週続けて録画して観た。録画番組をあまり増やすと後で観るのが負担になったりするので一時期控えていたのだが、最近はドラマも何本か予約している。CMを飛ばしたり早回ししたり出来るので、Tverで観るより都合が良い。

「100分de名著」、今回はウィトゲンシュタインの哲学についての講義だったが、解説の先生の話が非常にわかりやすく、とても面白かった。田中泯さんの朗読も素晴らしかった。この番組を観ていると、いつもながらMCの伊集院さんの理解力に感心する。哲学と言葉について考えた場合、例えば「机の上にリンゴがあります」という言葉には、単に書いたままの意味と「机の上にリンゴがあるので取ってほしい」という意味合いの場合もあれば、「机の上にリンゴを置くと邪魔だからよけてほしい」という意味合いの場合もあると解説があり、そこから話が進んで、伊集院さんが毒蝮三太夫さんの「おい、ババア」で始まる言葉を挙げる。乱暴な口調とはうらはらに温かい心情が内包されている、このような微妙な言葉のニュアンスは、おそらくAIには理解出来ないだろうという会話が興味深かった。「あなたなんか大嫌い!」という言葉の中に「あなたが好きでたまらない」という感情が含まれている場合はままある。それを理解出来ないAIが全てを采配するような世の中がいつか訪れるかもしれないことが私は恐ろしい。「AIは人間ではないですから」と断言した先生の言葉が、どうか守られますように。

そう言えば、番組の中で伊集院さんが語ったあることに、私は大いに共感した。伊集院さんは一人旅が好きで、旅に出る時は分刻みのスケジュールを立てるそうだ。でもそのスケジュールは8割がた計画通りに運ぶが、2割程度は必ず何かが原因で予定通りにはいかない。その2割こそが旅の醍醐味なのだと話していた。全くその通りだと思う。

言葉にも人生にも余白があると面白いし楽しい。

新しい作品とか、MBTIとか

「キングダム」というたいていの人が知っているような超大作に推しが加わることになった。久しぶりに表舞台に出てくると(撮影したのはずいぶん前だが)、待ってましたとばかり叩きに来る人たちがいてうんざりする。この人たちはきっと誰かを叩きたくて仕方がないんだろうな。ただ、推しのファンは胆の座った人が多くて動じない。7月を待つのみ。

しみじみ感動する小品も勿論素晴らしいが、そればかりでは映画産業は衰退する。スケールデカいです、お金かけます、名優わんさか出ます、な作品も絶対必要だ。半端ではない資金が投入されているから作る側の覚悟は相当なものだろう。おまけに原作があるのでうるさ方のファンもしっかりいる。それを承知でプロの制作者たちがキャスティングしているのだから、選ばれたことはちゃんと意味がある。推しが原作のイメージと違うと外野がうるさいが、イメージが違うとかなんたらは常に言われることで、原作が有名な作品に出演する役者さんはさぞ鬱陶しいことだろう。私だって「国宝」のキャスティングを見た時はイメージと違うと思った方が何人か居た。しかし映画を観たらそれはもうよく出来ていて、原作と映画はある意味別物だと思った。

原作のファンが不満を抱くのはある程度仕方がない部分もある。しかし、それに便乗しネットの声を精査もせずに載せ、勝手な憶測を付け足して記事にしてしまうメディアには呆れる。三流もいいところだ。と、まぁ珍しく腹も立ったが、品性卑しい週刊誌等は買わない&読まないことが鉄則。いずれ廃刊になるだろう。

さて、話はガラッと変わって、MBTIという性格診断について。少し前に話題になっていたが、この手のものは当たっていると思ったことがないので試したことはなかった。先日推しがらみでこのテストを目にし、ちょっとやってみるかなという気になった。結構たくさん質問があり、じっくり考えて答えてくれと書いてあったが、サクサクと直感で答えて行った。結果、「あなたは僅か3.5%にあたるとてもユニークな人です」という前置きがあり、エンターテイナーという性格ですと書いてあった。その解説を読めば読む程自分とは違っていた。人前に出ることもそう好きではない。昔々何かあるたびに代表みたいな役回りをやらされ、苦労したからチームはもうこりごりだ。一番はっきり違うと認識したのは「後先考えずにお金を使う」という部分だった。私は計画というものが大好きで、ことごとく計画を立てる。必要に迫られてではなく、楽しいから。朝起きると今日一日の計画を紙に書き出し、遠出する時は買い物のお店の順番に始まって時間までスマホにメモる。一週間の予定、一ヶ月の予定、一年の予定。年齢と共に面倒臭くなるどころか、余計詳しく書くようになってきた。あくまでも計画だから計画通りに行かなくても何ら問題はない。また練り直すだけの話だ。ただ、だからと言って最初から行き当たりばったりというのは耐えられない。用心深いのかもしれない。

そんなわけで、後先考えずにお金を使うなどということはあり得ない。仮に何かを衝動買いしても、帰ってすぐに帳尻が合うように策を練る。そういうある意味面倒臭い人間。家計簿の年間収支一覧表、家電の寿命一覧表(購入日や型番を明記)、御朱印受領リスト、推しの出演番組録画リスト等、ここまで来ると趣味に近い(笑)。

こんなテストやっぱりやるんじゃなかったと痛感し、仮契約のそのサイトは即刻解約した。

そんな日常(笑)