推し活修行 ~田中圭さんを深く静かに推す~

映画・演劇・本(乱読)が好き。田中圭ファン。圭モバプラチナ会員。

動機?

先日、ピアニストのイーヴォ・ポゴレリチ氏のインタビューが新聞に掲載されていた。その名前に見覚えがあったが、写真を見て、にわかにはあのポゴレリチの記憶とは結びつかなかった。今自分が見ている人物は、頭髪が薄く好好爺のような穏やかな顔をした老人だ。しかし、こんな名前がそういくつもある筈がない。記事を読んでみると、やはりかつて私がとても邪な動機でコンサートに行ったあのポゴレリチ氏だとわかった(年月は残酷だ)。

彼は22才の時のショパンコンクールの落選で一躍時の人になった。類いまれな才能がありながら、反骨精神に富んだ青年は、誰も弾いたことのない革新的なショパンを奏で、大方の審査員の反感を買った。審査員の一人だったマルタ・アルゲリッチが「彼こそが天才」と称し、審査員を降りるという騒動に発展し、その顛末は当時かなりの話題になった。私は当の青年を見てとても驚いた。関連記事に添えられているポゴレリチの写真はみな同じで、若く美しく、柔らかな髪が波打ち、細身のジーンズにロングブーツを履いていたのだ。革新的なショパンを弾く天才という呼び声と、その出で立ちはあまりにも素敵にリンクしていた。ただただ野次馬的な興味で、どんな弾き方をするのか見てみたいと思った。しかし実際に私が彼のコンサートに出かけたのは、彼が30才になった時だった。既に彼は大人になっていたのに、私の頭の中にいる彼は22才のままだった。いそいそとコンサートに出かけた私を待っていたのは、革新的なショパンではなく静かに静かにベートーベンを弾くポゴレリチだった。想定外の選曲に私は落胆し、仕事帰りということもあって居眠りをしてしまった。恥ずかしながら、とても気持ち良く眠り、深く反省しつつ帰路についた。彼に落胆したというよりも、一体何を求めて足を運んだのかよくわからない自分に無性に腹が立ったのだ。元々が不純な動機だったため急速に興味を失くし、既に購入してあった東京公演に行くのは止めた。1万円のチケットは、ただの紙切れになった。後日新聞に載っていたコンサート評でも、聴衆に迎合せず自分の信念を貫く意外な選曲と書かれていた。面食らったのは私だけではなかったようだ。私ほどではなくても、観客の多くはどこかで「革新的なショパン」を期待していたと思う。

私は、あいにくピアニストばかりを追っていたのでオーケストラの素晴らしさに触れる機会に出会わないまま、この一件でクラシックコンサートからは遠のいてしまった。

今改めて「リバーサルオーケストラ」でクラシックの名曲の数々を耳にすると、今からでも再びコンサートに足を運んでみようという気持ちにさせてくれる。常葉朝陽が圭さんでなかったら、こんな気持ちにならなかっただろう。

結局、動機なんてどうでもいいのかもしれない。