推し活修行 ~田中圭さんを深く静かに推す~

映画・演劇・本(乱読)が好き。田中圭ファン。圭モバプラチナ会員。

そんな時代…の話

遥か昔、会社の昼休みに妙な話題で盛り上がったことがあった。話の発端は憶えていないが、私が「(テレビの)○○クイズの予選会に行ったことがある。落ちたけどね」と言うと、一人が「私は『スター誕生』の予選会に行ったことがある」と切り出し、もう一人が「スクールメイツのオーディションを受けたことがある」と続いた。美人だったMちゃんが「ミス・サラダガールに応募して一次は通ったけど面接で落ちた。選ばれたのは古手川祐子」と告白し、「実は…今だから話せるちょっと恥ずかしい過去」という告白は思いの外盛り上がった。割と堅い会社で、今まで皆そんなことはおくびにも出さず、誰のことですか?という顔つきで働いていたからだ。え~っという声と笑いに包まれ、お互いに一気に親近感がわいた。これには番外編があって、その時居なかった別の同僚が、「私は高校生の時、アリスのチンペイの鞄持ちをしていた」と言うのを聞いて驚いたことをついでに思い出した。鞄持ち…そういうことが出来た時代でもあった。彼女は谷村さんの訃報をどんな思いで聞いただろう?

今までにもこのblogで度々触れてきたが、私は過去にいくつかのファンクラブに入会した。生まれて初めて某アイドルのファンクラブに入った時は20歳だった。当時の推しは超人気アイドルだったので、ファンクラブは大人数でコンサートもイベントも頻繁にあった。「あの人がファンクラブの会長さんよ」と教えてもらった人は、常に推しの家族と一緒にいた。会長はファンとの交流は一切無く、どう見てもファンクラブというより家族に雇われている人に見えて不思議だった。その後推しが事務所を移籍すると、ファンクラブは一から作り直され、推しの元ファンではなく事務所から派遣された人が新しい会長になった。ファンよりずっと年上だった。見事にテキパキ動く人で、冷たいとか怖いとか言っているファンもいたが(笑)、私はやっとビジネスライクにファンクラブを仕切れる人が現れたとホッとした。質問にも的確に答えてくれ、古いも新しいも無い全てのファンを公平に見る態度は会長にふさわしかったと思う。

その後何年かして、私は自らがファンクラブというものに深く関わることになった。

あるシンガーソングライターの声にひかれ、彼のラジオを熱心に聴いていた。デビュー後直ぐは大して売れなかった人だが、何曲目かにCMに採用されると、じわじわと売れ始めた。ある日、ふと思いついてラジオの公開録音を観に行った。人が沢山集まってはいたが、まだまだファンより買い物客の方が多かった。関西人の彼は話が面白く、「ラジオで俺の声を聴いた人は皆俺のことをオッサンと思っている」と笑わせていたが中々のハンサムで、きっと人気者になる、と直感した。私の近くで関係者らしき男性が楽しそうにイベントを観ていたので、私は軽い気持ちで「スタッフの方ですか?」と声をかけた。レコード会社の担当の人だった。「あのぅ…○○さんのファンクラブってあるんですか?」と私は聞いた。SNSも何も無い時代、一番確かな情報を得るにはファンクラブしかなく、私はファンクラブに入りたかったのだ。彼はまだ無いと答え、何故か「(大阪市内の大手レコード店で働く)Sさんに会ってごらん」と私に勧めた。翌日仕事の帰りにその店に寄り、散々躊躇った挙げ句、やっと思い切って声をかけた。彼女は私の顔を見るなり、「ファンクラブ作ろう!」と持ちかけ、私は面食らった。

その後紆余曲折あり、結局ファンクラブは東京で作られ、私達は関西支部的な立ち位置となった。関西支部は正式な支部ではなかったが、スタッフは歓迎してくれ活動は東京より盛んだった。Sさんが代表となって交渉事を担当し、私はサブで会報の作成を引き受けた。毎月10ページ程度、ほぼ一人で文章を書いてレコード店に置いてもらっていた。一人また一人と仲間が増え、総勢30名程のメンバーが毎週のようにレコード会社の会議室に集まってリクエストハガキを何枚も書いた。当時はベストテン番組のランキングにリクエスト数が如実に影響し、応援のし甲斐があった。ある日いつものようにせっせとハガキを書いているとなぜか周囲が急にザワザワし始め、マネージャー氏と共に「こんちは」と、推し本人が現れた。私達は突然のことにポカンとしたまま声も出せないでいた。「いつも皆がリクエストハガキを書いてくれていると聞いて、一度ちゃんと御礼しないと、と思って」と推しは挨拶し、その後一時間くらい最近の出来事を面白おかしく話してくれた。それは、夢かと思うほど楽しい時間だった。その出来事は瞬く間に関西のファンの間に広まり、次の集会には一挙に100人近い人数が集まった。新しく加わった人たちは一様に「次はいつ来てくれるでしょうか?」と期待していたが、私は次は無いだろうと内心思っていた。彼は誰もが知るアーティストになり、やはり二度目はなかった。それでも支部は結構続き真面目に活動を続けたが、夜遅くに私の自宅に電話をかけてきて「○○さんは今日どこのホテルに泊まっているんですか?」とたずねる人まで現れるに至って、終わりだ…と思った。もちろん、どこに泊まっているかなど全く知らなかった。見返りを求めず一心不乱にハガキを書いていた頃とはすっかり変わってしまっていた。

推しとファンの間には、適度な距離があってこそ、と今も思う。