推しのいる人なら誰もが一度は考えたことがあるだろう「推しにとって我々ファンはどういう存在なのか?」という疑問。家族でもない友達でもない不思議な立ち位置。「ファンの皆様のおかげで」という言葉は嬉しいが、こちらの都合のいいように拡大解釈してはいけない、といつも自分を戒める。「応援してあげているのに」となってしまっては、もうファンとは言えない。かと言って、応援させてもらっているというのも違う。推しとファンは対等の関係だと私は思っている。
推しには推しの人生があるのだ、ということを私たちは理屈ではわかっているくせに、感情ではなかなか認め難い。インタビューで今まで聞いたことのなかった心情が推しから語られたりすると、ファンは少なからず動揺する。あれはどういう意味だろう?仕事のやり方が変わるのだろうか?今のように頻繁に推しの顔を拝むことは出来なくなるのだろうか?と、どんどん先回りして勝手に凹んでみたり。
しかし、自分自身の人生を振り返って考えてみても、進学・就職・はたまた転職と、節目節目で自らの将来を考え葛藤し、結論を絞り出してきた。それと同じことを推しも考えるのは至極当たり前のことだ。芸歴〇年、それなりに場数を踏み自分が何を求められているかはわかっているが、やはり新しいこともしてみたい。家族もあるから、今しかないという考えも出てくる。推しだって、私達と同じように迷い、悩むのだ。
心身共に疲れはてて休養したり芸能界を去る人も少なくない昨今、推しが元気で自らの仕事を心の底から楽しんでくれていることは無上の喜びだ。
(しかし、まぁ、私も経験があるけれど、グループを推すのは大変だなぁ)
舞台が始まっている。今まで観たことのない圭さんだと皆が言っている。また新しい扉を開けたようだ。