推し活修行 ~田中圭さんを深く静かに推す~

映画・演劇・本(乱読)が好き。田中圭ファン。圭モバプラチナ会員。

未完成作品群

母の体調も快方に向かい、先日久々に空いた時間が出来たので、書斎の整理をすることにした。片付けの鉄則、思い出の品は最後にする、をつい忘れて最重要の引出しに手を出してしまったのが失敗のもと。結局整理どころか夢中で読み耽り、2時間もかけて引出し一つ片付かなかった。デスクの一番下の大きな引出しには、過去に自分が書きかけて途中で挫折した沢山の“小説もどき”がひっそりと眠っている。それら原稿用紙の束に紛れて小さなノートが出て来た。そのノートのことはすっかり忘れていたが、開くなり記憶が鮮やかによみがえった。かなり昔、某英語雑誌を翻訳したノートだったのだ。1980年代前半、私はティモシー・ハットンというアメリカ人俳優が大好きだった。アカデミー賞を獲得した「普通の人々」で母との確執に苦しむ少年役を繊細に演じた彼の虜になり、その後の作品も追いかけた。日本の映画雑誌では飽き足らず、彼の密着ロングインタビューを掲載したアメリカの月刊誌を購入し、無謀にも辞書片手に翻訳を試みたのだ。どう訳せばよいかわからない部分が所々空白になっているが、大体の内容はつかめるように翻訳してあった。何ページもあるロングインタビューをコツコツ翻訳した若き日の自分に驚いたが、褒めてやりたいと思った。推しへの愛がなければ、こんなことは到底出来ない。インタビューは今読んでも面白かった。超多忙な青年俳優の取材はスケジュールの隙間を縫って飛び飛びに行われ、時には俳優の気分に付き合い、録音機材を止めることも。

俳優を父にもつティモシーは少年の頃に役者になるかバスケットボール選手になるか迷っていた。13才の時に全米の人気選手に会うチャンスに恵まれ、期待一杯で話しかけたが、バスケットボールの話をする前に「その長い髪の毛を切ってこい」と言われ、その時彼の夢の一つはあえなく萎んだ。彼は役者を目指して舵を切り、今に至る。神様ありがとう、と当時の私は思ったに違いない。

さて、引出しには原稿用紙10枚程の作品とは呼べないような代物が沢山と、何かに応募した形跡の完成品が眠っていた。自分で言うのも恥ずかしいのだが、我ながら面白い。書き出しはいつも筆が進む。そのうちに悪い癖が出て来て行き詰まる。ファンタジーが嫌いな私は、こんなこと実際にあるのかな?と考え、主人公の仕事に間違った表現があってはいけないと調べているうちに頓挫する。その繰り返し。作家になどなれるはずがない。ただ、どの作品の主人公にもその時期に好きだった推しの面影が反映されていて、笑った。我ながら実にわかりやすい。要は、推しの扱われ方に満足出来ず、自分ならこんな作品でこんな風に描くのになぁ、のあるある現象。推しのいる人ならたいてい一度は考える妄想の延長に過ぎない。私はインターネットというものを通じて、私と同じような人が五万といることを知り、苦笑するしかなかった。

私に○○さん(有名作家や脚本家)の筆力があればなぁ、と今でも思う。私なら、圭さんをもっと…と。

しかし、そんな物足りなさも、常葉朝陽に関しては1ミリも無い。外見も内面も圭さんが演じた中では突出して魅力的なキャラクターだと思う。いつか終わりが来ることが、今からたまらなく寂しい。