推し活修行 ~田中圭さんを深く静かに推す~

映画・演劇・本(乱読)が好き。田中圭ファン。圭モバプラチナ会員。

恩師

日曜の夜、ベッドでゴロゴロしながらブログを書いていたら、いつの間にかうとうとしてしまい、気付いた時は書きためた文章が全て泡のごとく消えていた。こういう時は落ち込みが激しい。下書き保存のキーをなぜ押しておかなかった?と後悔しても後の祭り。もう一度一から書き始めるパワーは流石になく、諦めて寝てしまった。

仕切り直して、今日は違うことを書く。発売されたばかりの雑誌の公式サイトに掲載されファンの間を駆け巡った1枚の写真。恩師とも言える白井晃氏とのツーショット。Twitterのあちらにもこちらにも、まるで父と息子のように、穏やかに微笑む二人。なんて素敵!

白井さん、圭さん大人になったでしょう?(ああ、私は何者でもないが、何とも言えない気持ちだ)

人は成長途上で出会う人によって、その後のありようが大きく変わる。素敵な大人の薫陶を受けた人は自らも素敵な大人になる。舞台演出家と若い役者の関係はまさにそうで、若くして舞台を踏む役者にとって、演出家との出会いはとても重要だ。蜷川幸雄氏が15才の藤原竜也に出会った時「これは大変だ。我々は責任を持って彼を育てていかなければならない」と思ったと、後年語っておられた。ある意味父のような責任感を持って育ててくださったのだ。

白井氏が芸術監督をつとめる世田谷パブリックシアターで「夏の砂の上」は上演される。白井さんに成長した圭さんを観てもらえることが心底嬉しい。

戯曲の文庫本が出版されたので、取り寄せてみた。観劇前に読むのが良いか悪いか迷ったので、パラパラとページを繰ってみた。驚いた。いつもの圭さんの舞台に比べて、格段に台詞が少ない。いや、少ないというより短い。多くを語らないのだ。その分、台詞の余韻はたっぷりある。言葉にならない心情の描写が大部分だ。私は、舞台の前方に出て真っ直ぐ客席を見ながらの独白が多い芝居は少し苦手だ。ナレーションのように言葉ですべて解説してしまったら、観客が自分で埋める余白が無い。語らずとも「目が物語っている」とか「背中で語る」とか、そういう芝居を圭さんに求めていると栗山氏は語っていた。役者としての深い深い根っこの部分を求められているなんて、役者冥利に尽きると思う。

もしかしたら圭さんにとって記念すべき瞬間に観客は立ち会えるのかもしれない。